自分の黒歴史 女性へのトラウマとは?!

紫 クレマチス

出会いをさがす、婚活はツラくなりがちです。

結果が出ないことでの焦り。

自分が空回りしてしまったときの敗北感。

「自分はいったい何をやっているんだろうか・・?」

自分と合わない相手から受ける精神的なストレス。

相手から失礼な対応を受けたときの落ち込み。

そんな精神的に厳しくなるときに、相談できる人や励みになるサイトがあれば踏ん張ることができます。

自分もそうでした。

この支えとなれるように、自分の体験をふまえてこのサイトを立ち上げました。

私は結果をうまく出せましたが、最初からうまくいったわけではありません。

非常に数多くの失敗経験や、2回の破局を乗り越えたうえでの活動です。

ネット、婚活パーティー、オーネット、結婚相談所と自分の人生で違う年に、それぞれ取り組んでいます。

終盤の活動では、支障は全くありませんでしたが、最初から順調だったわけではありません。

自分が年を重ねるにつれて、過去の失敗の経験と、このサイトでも取り上げている項目を実践し続けて。

その結果、30歳で自分に対する女性の好感度がとても高くなりました。

出会いの場で

「モテるでしょう?」と言われていましたが、

自分と相性のいいたった一人の女性と巡りあうまではとても苦労しました。

読んでいるあなたを勇気づけたいので、自分の黒歴史についてふれてみます。

私の女性へのトラウマのきっかけ いじめ

中学1年の5月に、中学校ではげしいイジメを受けています。

きっかけは、いじめられていた同級生の男子をかばったことでのいじめ。

最初は、リーダーやそのグループのとりまきによる自分への暴力。

自分は、身長や体格が良かったので、最初のうちはなんとか応酬できていましたが、グループの人数が増えるにつれて、ボコボコにされる毎日。

頻繁にYシャツを引き裂かれたり、自転車は盗まれたり。

日数が過ぎるにつれて、昨日まで普通に話していた友達が無視をするという現実。

自分が学生のときは、公立の中学校は今とは比較にならないほど荒れていました。

女子による陰湿なイジメも同時に酷くて。

登校すると、上履きに多くの画びょうが。

机には、菊の花が飾られ、数多くの誹謗中傷の落書き。

いじめのエスカレート

時間の経過とともに、いじめに加担する人が雪だるまのように増えていきました。

中学1年の夏休が過ぎると、最初は自分のクラスだけでしたが、同じフロアの1、2、3組全員からイジメを受けるという理不尽な状況です。

登校してもしゃべる人、しゃべれる人はいないし、休み時間にボコボコにされるのが嫌だったので、図書館へ走って、逃げていました。

自分が所属していたソフトテニス部に行っても、同級生や上級生から、球の的にされ、サーブやボレーの全力球を当てられるのです。

結局、部活にいけなくなってしまいました。

学校の先生もみて見ぬ対応。

「悪ふざけ」をするなという対応で、自分のイジメに、真剣にとりくんでくれる教員はいませんでした。

ツラくても、家族にも言えない状況。

学校から帰宅するときに、環境のツラサに、公園で、一人で泣いていたことを今でもよく覚えています

救いとなった塾の講師

そんな地獄のような環境で、唯一の救いは、自分が通っていた塾の数学の講師でした。

いろんな雑談をしましたし、授業が無い土日でも自習室を開けて利用させてくれました。

中学のときは、遊びに行く友達や部活もないため、塾だけが心の拠りどころ。

先生との雑談に、救われていました。

交友関係で遊びに行ったり、熱中できるものがないため、ひたすら勉強を行いました。

ボコられて、くやしくてもその分、塾でひたすら勉強。

土日もひたすら勉強という大学受験みたいな生活だったので、当然成績は急上昇します。

試験の学年順位、模擬試験などで、結果が出るようになってくると、周囲の評価は変わってきます。

幸いなことに、ボコられるというイジメはなくなっていきました。

周りから「あいつはすごい」という評価に少しずつ変わっていきます。

しかし、長い間イジメを受け続けたことで、同じ中学校の教員、生徒に対しては、人間不信におちいってしまいました。

結局、中学生のときには中学校に誰も心から信頼できる人がいなくなり。

塾の先生や塾の合宿がとても楽しく、自分が救われていました。

高校進学

高校進学は、自分の中学の同級生が進学しないところを最優先。

塾の先生のすすめもあって、私立の男子校の進学校に進学しました。

この塾の先生とは、今でも交流があります。

高校では、男子校で理系が中心の進学高だったので、イジメはありません。

一つのことに熱中するような友達やオタクな友達がたくさんできて、平穏無事に過ごしていました。

ですが、女性の友達は全く皆無です。

どこかに、遊びに行ったり、女性と話しをすることがまったくありません。

高校生のときは、同級生と過ごすことに居心地がよくて、あまり上記のことは関係ありませんでした。

大学進学

大学の薬学部の製薬学科に進学しました。当時は4年制。

他の理系学部に比べて、女性の比率が多かったことに非常にとまどいを感じました。

男性を探して、とても苦労して友達をつくれて、嬉しかったことをよく覚えています。

なぜって。

自分の人生では、女性からは、陰湿なイジメを受けたあるいは自分を無視する経験しかないからです。

学部の実習のときに、同じ実習班に女性がいると「仲良くする」という経験がないため、同級生にもかかわらず、常に敬語で話すという訳の分からない対応に。

くだけたタメ言葉で話すことがどうしてもできなかったのです。

当時の自分は、生真面目な男性と思われていますよね。

「仲良くなる」という経験を自分の人生で全くしてこなかったので、とても苦労しました。

本当に、レベル1の状態

このサイトを見て頂いている人から見れば、「そんな人がいるのか?」という酷い状態です。

だって、仲間をとおして、遊びに行ったり、話してコミュニケーションする機会がゼロだったのですから。

ここで、自分の状態について自覚をしますが、すぐに、対応は当然できません。

人間関係では、周回遅れであることを自覚しつつ、サークル、アルバイト、勉強を忙しくこなしていきました。

研究室への配属

やがて、研究室に配属され、夜遅くまで研究する毎日。

学部実習のときとは、異なり、より多くの時間を研究室の仲間と一緒にすごしていました。

このときに、初めて人生で彼女ができたのもこのときです。

研究室に二人で一緒にいることが多かったため、自分から勇気をもって、休日に映画館に誘ってみたのがきっかけです。

告白をして、付き合うまでになりましたが。

遊びに行った経験がないため、ほんとにデートも不慣れ。

今、思い出してみると「いたらない自分だったな」と思います。

女性との人間関係でダメな自分をいろいろ指摘してくれた彼女にはとても感謝しています。

この経験によって、著しく足りていなかった部分がようやく人と同じようなスタートレベルに。

社会人に

社会人になり、お互いに違う職業になりました。

彼女は、研究ではなく、全国展開している薬局での薬剤師を選択。

徐々に会うことも難しくなり、お互いに話し合って別れることになりました。

別れて1年たって、出会いを求めて、始めたことが自分のこの活動のスタートにいたります。

いかかでしたでしょうか?

いたらない自分の経験を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

読んでいる方に伝えたかったことは、「誰でも大丈夫」ということです。

自分は、「モテないではなく、トラウマからのスタート」というように、普通の状態より周回遅れからのスタートをしています。

ですが、勇気をもって、行動しつづけることで、人は変わっていきます。

もちろん、一人での行動は大変です。

ですが、読んでいるあなたの友達、家族、仲人さん等と失敗やつらいことは相談してみてください。

「どうしたらいいだろう?」

「うまくいった人はどのようにしたのかな?」

このような悩み、疑問をもったときに、このサイトは活用していただければ幸いです。

自分の失敗をみていただき、読んでいるあなたにこのサイトが少しでも役に立て、きっかけにつながるのであれば、いいなと思っています。

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ABOUTこの記事をかいた人

既婚。専門職。30代後半です。大学生のときから付き合った彼女と25歳のときに別れました。 26歳から、出会いを求めて婚活の世界に。婚活パーティー、ネット、大手相談所、結婚相談所の全てで婚活を行っています。 破局、数多くの出会いに経て、結婚相談所で今の妻と出会い、結婚しました。 仕事と子育てに奮闘中です。 趣味は読書、映画、料理、ガーデニング、ブログです。